2001/03/31 (土) そして2年目へ |
駆け足で僕がインターネットに繋がり、サイトを立ち上げ、様々な出会いがあったこの一年間を振り返ってきました。 レンタルサーバーに接続し、定められたディレクトリにサイトの内容を転送するのに苦労したこと、そして様々なサイトにリンクを辿って行き着いたこと、いろいろなことが昨日のことのように思い出されます。 いろいろなサイトに巡り合いましたが、今でも「どこをどう辿って」いったか覚えています。そしてまだまだ謝辞を述べたいサイトはたくさんあります。 幸い、ここに至るまで「嫌な思い」はひとつもありませんでした。タマにスパムメールみたいなものや、怪しげな「利殖バナシ」に彩られたメールが来ることもありましたが、それもタマの「日誌のネタ」にはもってこいでした。 そして何よりありがたいことは間もなく一年になる当サイトに約10,000のアクセスがあったことです。 もう一点のありがたいことは、繰り返し述べてきたことではありますが、もしインターネットという環境がなかったら一生めぐり合うことがなかったであろう、遠方の知らない方々とコミュニケーションが取れるようになったということです。 ただ、ポツポツ「暗い面」も見えてきました。常時接続が可能になって、さらにいろいろなところを訪ね歩くようになったせいもあるでしょう。 さて、来月号は「歯科の治療費を考える」か、「虫歯はなぜできるか」のどちらかのテーマにするか直前まで迷っています。もしかしたら全然違うテーマになるかも知れません。 今後ともよろしくお願い申し上げます。 |
2001/03/30 (金) オアシス |
そして謝辞を述べさせていただく最後のサイトは、「夢宇宙都」(ゆめうつつ)さんである。 文学的なことをメインテーマとするこのサイト自体もすばらしいのだが、このサイトのさらなる魅力は「掲示板」にある。 本当に不思議なことに、ここの掲示板は「いつ」書き込みしても、ほとんどの場合数分でコメントがつくのである。 僕自身、そんなに多くの掲示板を利用してきたわけではないし、また自分の趣味にあった掲示板を探すことは容易なことではない。 数回書き込みしても、まともなレスが付かずこちらから足が遠のくことも多いし、ほんの些細な下ネタで出入禁止を通達されたりしたこともあって、了見の狭さを伺わせられることもあった。 ところが「夢宇宙都」さんの掲示板は本当に話題が自由であるし、大概「適切な」レスが管理人によって付けられるのである。 ここには様々な人生相談のような書き込みが多く寄せられるのであるが、実にさりげない回答が付いている。 僕はよほどのことがない限り、毎日訪問し「些細なこと」を書き込む。書き込むことによって落ち着くこともあるし、適切な回答が得られ納得することもある。 時には下品な書き込みや、具にも付かないダジャレを書き込んだりするが、これも適切なレスが付けられるか、「退場」処分を受けるか、ちゃぶ台をひっくり返されるかのいずれかである。いずれにせよ「管理人によるコメント」が「付かないことがない」のである。 ここはインターネットのオアシスである。(これからもよろしくお願いいたします) |
2001/03/29 (木) ネットセキュリティー |
今ひとつ改めて謝辞を述べたいサイトは「Gabacho-Net」さんである。 こちらはコンピュータに精通されたサイトでありながら、「敷居」が高くないのが魅力的であった。 概してコンピュータ関連の仕事をされている方や、詳しい方のサイトは敷居が高い。もし「CGIって何ですか?」なんて尋ねようものなら、「そんな基本的なこと俺様に答えろっちゅうんかい」と言った返答が返ってくるのではないかと言う雰囲気がプンプンと漂うサイトが多いものである。 もちろんメジャーなCGI配布サイトなどは、アクセスやメールなどの問い合わせも非常に多くて答えきれない、という事情もあるだろう・・・ もちろん超基本的なことを手取り足取り教えていただくつもりはないのだが、「大体どういうことなのか?」とか「どうやったらとっかかりを掴めるものか?」というヒントでも得られると大変助かる。 また、このサイトは「ネットセキュリティー」を主なテーマにしているだけあって、いろいろな点で安心感がある。 「お気に入り」に登録した時にIEマークに替わって出る「Favicon」というものも作っていただいた。 そうそう、この方は自宅に自前のサーバーを置くというこだわりようである。 これからもよろしくお願いいたします。 |
2001/03/28 (水) 一期一会 |
さて、今月も残り数日となった。まとめる方向にハナシを持っていきたい。 今日に至るまで、様々なサイトの影響を受けてきた話は今月中盤以降してきたが、まだご紹介していないサイトがいくつかあるので、謝辞の意味も込めてご登場していただく。いずれも「リンク」のご了承を戴いているサイトなので、改めてのリンクのご了承は割愛させていただく。 まずは「前田歯科医院」さんのサイト。 ここの管理人さんから受けた影響は、「ホームページは生涯更新」ということである。どんなにいいサイトでも更新が滞ると、たちまち陳腐化してしまう、ということを教えて戴いた。 そして、「役に立つことはないだろう」と勘違いしかかっていた、インターネットという環境が素晴らしいものである、というヒントを常に与えつづけてくれているサイトでもある。 また、卓越したコンピュータに関する知識があり、折々の種々の疑問に間髪を入れず快くご回答いただけたこともまた幸せなことであった。 実は僕の出身大学の先輩にあたる先生なのであるが、もし「インターネット」という環境がなければ一生縁のなかった方だろうと思うと、「インターネットは一期一会」とおっしゃった「雑記草」さんの言葉が身に染みる。 もちろん過日も述べたが「雑記草」さんにもお世話になった。 日常・非日常から次々と話題を提供され、しかも「裏付け」を織り込む日記の手法は脱帽ものであった。「雑記草」さんはちょっと違う意味で「インターネットは一期一会」と仰ったと思うが、僕は僕の解釈をさせていただいた。 つまり、あたかも見えない糸で結ばれているかのように「サイト」に出会うような感覚に襲われることがある、ということである。 言い換えると「スターウォーズ」で言うところの「フォース」の導きがあるような気がすることがタマにあるのである。 |
2001/03/27 (火) ホームページの効果 |
ハナシを元の流れに戻したい。 「反対語コーナー」も軌道にのり、昨年末には一日40から50のサイトアクセスがあるようになったところからの続きである。 とっくにインターネットは広告にならない、と思っていた矢先に「ホームページを見て来ました」と言ってくれる患者さんが来院された。実は大変驚いたものだった。 立て続けに3人くらいいらっしゃったのである。しかも、札幌市内は結構遠方〜車で30〜40分かかるような住所からである。 僕は昨年夏以降、日本語で書いたホームページは日本中の誰もが見ることができることができるし、医院の半径数キロの方々を対象としたページ作りはするものではない、という方針で更新を続けてきた。 と、書けば聞こえはよいが、「ホームページを広告手段とする」ことを半ばあきらめ、単に趣味に走った、というのが現実であった。 ハナシは変わるが、昨日今日更新が滞ったのにはワケがある。ひょんなことから「恐ろしく巧妙な宣伝に満ち満ちた歯科医院のホームページ」を目にし、またそれに絡んでほうぼうの掲示板で「これが歯医者の言葉か?」と思えるくらい口汚く罵り合う世界を垣間見て非常に暗澹たる気分になっていたのである。 ホームページでは好き勝手なことが書ける。あることないこと書ける。 もちろん、ここだって例外ではない。僕が「綺麗に飾り立てたスマートなホームページ」を作成し、我ながら上手くいったと思う症例だけを写真公開し、患者さんの「医院に都合のよいコメント」だけ掲載し、自画自賛の美辞麗句を書き並べることは可能だ。 でも、それは非常に空しいことである。 |
2001/03/26 (月) 新聞の体質 |
今日はコンピュータに関係ない話題である。もちろんITには程遠い。 新聞の休刊日は押しなべて「同一の日」である。そして朝刊と夕刊のある新聞は大体同じ料金である。 そして一社が「字を大きくする」と発表すると、たいてい他社も同時期に字を大きくする。 どうして同一の日を休刊日にする必要があるのだろうか?どうして同じ購読料にする必要があるのだろうか?これって談合してるんじゃないの?といつも思ってしまう。 概して新聞はマスコミの頂点にいるかのような論調である。 もちろん政界と財界の癒着とか、行政と建築業界の癒着なんかには異常に目を光らせていたり、医療ミスなんかが続くとこぞって現場の体質を批判したりする。 時には同じマスコミのテレビ会社なんかも矢面に立たされることもしばしばである。 もちろんそれはそれで大切なことではあると思う。 (余談だが、テレビ会社なんかは「他社のテレビ会社の社員」が交通人身事故を起こそうものなら、鬼の首を取ったかのような扱いで報道している。醜いものである) でも、新聞各社殿、あなたがたこそ、どうして「休刊日が同じ」で「購読料が横並びなの?」と聞きたい。 どうしてどこかが「字を大きくします」と発表するとこぞって追随するの?と尋ねたい。 もしこれをお読みの方で新聞社に関係のある方がいたら、是非理由をお聞かせいただきたいものである。 僕は複数の新聞を購読しているが、いつも「休刊日が同じ」で面白くない朝を月に一回迎えていることを強く主張したい。別に違う日だっていいじゃない!? わが社の新聞だけは、休刊日を他社と違う日に設けています。わが社は他社より一月の購読料を100円安く設定しています、と言う新聞があったら僕は積極的に購読したいと思っているのだが・・・ もう一つの疑問は、そういうことに疑問の余地を挟む人がいることを耳にしないことである。こういうことを言うことはタブーなのだろうか・・・ |
2001/03/25 (日) 言葉のカベ |
CGIという言葉のはっきりした意味が判っていなかった。 そもそもコンピュータにまつわる「ヨコモジ」はみな判らないものだらけである。 「HTML」とか「WEB」とか、漠然と「こういうものだろう」と勝手に理解したつもりで使っているケースが多い。まあ、「言葉」というもの・・・日本語の単語にしても大抵は「まず耳で聞いて」あるいは「印刷物」を見ておぼろげに「意味を類推」し、使ってしまう。 新しい言葉に触れるたびに「辞書を引く」ということはあまりない。 それどころか、例えば「TBS」というアルファベットの羅列を見ると、既にそれは「東京にあるテレビ会社」であるということをおぼろげに理解したつもりで、その単語が何の略であるか?なんてことは全く考えようともしない。 「ANA」しかり、「JAS」しかり・・・「JAS」なんてちょっと昔なら「TDA」だったよなあ・・・とかって思うくらい・・・ 「CGI」もおぼろげに「サーバーに何らかのプログラムを置いて、閲覧者がそれを実行して結果を得る」くらいに理解していた。 「CGI」が「Common Gateway Interface」の略であることを知らなくても、大筋で間違った概念ではなかったようだ。 ホームページを作成するにも、本来はHTML(Hyper Text Mark-up Language)というプログラム言語を理解していないと作れないものだったのだが、ホームページ作成ソフトというものがHTMLを全く意識せずとっかかれる環境を与えてくれている。 まあ、そもそもパソコンは本来我々にまったく理解できないマシン語で作動し、結果を出しているはずだし、もっと「素粒子レベル」に遡れば全て「0」と「1」だけで入出力しているはずである。 「0」と「1」だけの世界をここまで身近にしてくれた「先達」の功績に感謝したいし、今後もますます身近にしていただけることを望んでやまない・・・ できればホームページ作成ソフトみたいな「CGI作成ソフト」なんてできてくれたら、すごく嬉しいのだが・・・ |
2001/03/24 (土) CGI |
機器を接続・設定した日は問題なく繋がった。 翌日起動してみると、どうやっても繋がらないのである。時々周辺機器と相性が合わないケースがあると聞いていたので、これはやられたかな?と一瞬思った。 数回再起動していろいろ試行錯誤の末、パソコン起動後にPHSカードを挿入すると繋がることが判った。そういうこともあるらしい・・・ また勝手に音量がミュートになる、という不具合も出ているのだが、今のところ不具合はそれだけなので、常時接続の恩恵に比べれば大した障害ではないと感じることにした。 さて、ここ数日は「CGI」というものへのとっかかりを探っていた。 実は以前から必要性を感じていた。最初に必要性を感じたのは、とある会のサイトを立ち上げる際、アクセス制限を設けたかったのだが、それをやるためにはCGIというモノをいじらなければならない、ということを知った時だった。 ところが、ほどなく僕が使っているレンタルサーバーではそのサービスが用意されており、わざわざ七面倒臭いCGIに関わらなくてもよいことが判ったのである。 それからしばらくCGIのことは忘れていた。 CGIになかなかとっつけなかった理由は「七面倒臭そうだ」ということの他に「時間課金接続」ということも関わっていた。FTPで接続してサーバーに出たり入ったり、あるいはブラウザで確認したりするのが「時間課金」ではとうてい手続きが面倒だろうなあ、という思いがあった。 ただでさえ課金は上限以上使っているのに、いいCGIプログラムを探し歩いたり、サーバーに直接出入りしていたら、途方もない課金が来るだろうなあ、ということを恐れていたのである。 PHSカードの常時接続が、この心理的負担を取り除いてくれた。 また、以前から「レンタル掲示板」は種々の理由で嫌気がさしていた、ということが奮起に火をともした。 |
2001/03/23 (金) HOTCN-3 |
実は札幌にあるケーブルTV会社が6月からネット接続できるようになるらしいし、NTTや他の電話会社も相次いでDSLの加入ができる予定にはなっていた。 しかし、どんなにスピードが速くても所詮有線による接続である。 もちろん無線LANとか(どうやるのか判らないが)施設すれば複数台のパソコンで接続環境を共有できるのだろうが、いかにも面倒臭そうだ。 しかも、やっぱりコミコミで4800円繋ぎホーダイはありがたい。 ホウボウの掲示板やメールで尋ねてみた。一両日中には、PCカードアダプタというものがあり、デスクトップパソコンにもカードが使えることが判り、さらに友人が使っていないカードアダプタがあるので無償で貸与してくれることとなった。 もちろん色々な掲示板ではそれぞれ丁寧なアドバイスをいただいた。これは初心者にとってとても嬉しいことである。 かくして、筐体を開けてみることとなった。 中は意に反して「スカスカ」だった。まずこれには驚かされた。これじゃ筐体の容積の80%位は空気ではないか!実は中はぎっしりと部品が詰まっていると勝手に想像していたのである。 机の上のかなりのスペースを占有しているでかい筐体が急に恨めしく見えてきた。 最近の省スペースパソコンはきっとこの無駄を省いているんだろうなあ・・・ 気を取り直してPCカードアダプタをPCIバススロットというところに差し込む。これはただ差し込むだけだった。さらにこの製品は「5インチベイ」内蔵型であるのだが、僕の筐体にはすでにCD−R/RWとDVDと、もちろんFDが占拠していたため、カードスロット本体を外に引き出さなければならない。それも筐体の隙間からケーブルを這わせることでクリアー。 付属のCD−ROMでドライバなるものをインストールする。このマニュアルは親切だった。よく判った。 そして再起動の後、PHSカードを認識させる作業であるが、これも一度かみさんのノートパソコンで「実験済み」であるので大丈夫である。 ちゃんと繋がったように見えた。そしてもちろん繋がるし快適な環境を手に入れたと喜んだ・・・ |
2001/03/22 (木) HOTCN-2 |
早速ネットで検索し、資料を取り寄せ、申し込んだ。全部即決即断だった。 唯一ちょっと悩んだのが、「PHSカード型」にするか、「PHS本体+カード」の組み合わせにするかだった。後者は月々1000円のレンタルがあるが、前者は12800円の買い取りのみである。 ただ、PHS本体+カードの場合、PHS本体の電源をパソコンから取れないという理由でPHSカード型を選んだ。 約2週間で一式が郵送されてきた。 早速カミさんのノートパソコンに繋いでみると、これが思っていた以上に快適なのである。32kbpsとアナログ電話回線並みの速度なのだが、PHSから先の回線が恐らく太いのであろう。 体感速度はISDN+DIONの組み合わせと比べても遜色なかった。 このカラクリはきっと色々あるのだろうが、あまり深いことを考えずに、即この接続環境を僕のデスクトップ機でも使いたくなった。 僕とかみさんはそれぞれ異なるパソコンを使っているが、幸いネットに繋ぐ時間帯はおよそ異なっていたことから、時間帯で使い分けることができれば「1枚のPHSカードで2台のパソコンをそれぞれ定額常時接続できる」という夢のような環境が出現する。 しかも2台で月額4800円ということは、1台2400円である。 しかも、こういった使い方をこの接続会社は禁じていない。 ダイアルアップ常時接続で、これ以上安価な接続手段はないであろう・・・ ひとつ壁があった。僕のデスクトップ機にはカードスロットが付いていなかったのである。しかも、いまだかつてパソコンの筐体を開けたことがない「ハード音痴」ときている。 |
2001/03/21 (水) HOTCN-1 |
ひょんなことから、北海道総合通信網という会社の「PHSを使った定額常時接続」でネットに繋げるようになった。 もちろん「ひょんなことから」とはいっても何らかの必然性があって、ここにたどり着いた。 第一のキッカケはかみさんのノートパソコンであった。昨年の8月にインターネット目的に購入したものだが、その時、かみさんは「モバイルなんだから固定の電話線で使うのは嫌だ」とゴネたのである。 その時の僕のつたない知識ではNTTドコモのP-inという接続手段しか思いつかなかった。これが今時非常にバカ高い接続料を要求されるのである。 moperaというプロバイダー料金とコミで1分15円もかかるのである。1時間900円である。 もちろん通話料1分10円にして他にプロバイダーを契約してもいいのだが、かみさんがそんなにネットにはまらないだろう、という安易な観測のもと、前者で接続を始めたのである。 ちなみに基本料金は1980円だったと思う。(1000円分の接続料込み) 最初の頃は極端に高い料金になることはなかった。 ネットサーフィンを延々やるわけでもないし、メールをやりとりする相手も限られていた。ところが、年末くらいから徐々に課金が増え出し、今年に入ってからは10000円前後という「家計を圧迫する」請求が来だしたのである。 事情を聞くと、「ケーキ作りの検索」をしていたとか、メーリングリストに加わってメールのやりとりが多くなった、などとのたまう・・・ これでは僕の接続料も含めて、ネット貧乏一直線である。 そして、たまたま定期購読している「アサパソ」の常時接続の特集で「北海道総合通信網」という会社の記事が目にとまることとなる。 |
2001/03/20 (火) ネットと広告 |
昨年の終わり頃には、だいぶ安定して一日40から50くらいのアクセスがあるようになった。 お気づきの方も多いと思うが、このサイトのコンテンツの半分以上はあまり歯科に関係がないことである。 「院長日誌補足」も2月は集中的に歯科の話題を取り上げたが、それ以外はほとんど雑記である。これにはわけがある。 今月の7日付けにも書いたのだが、当初広告や宣伝のつもりで始めたホームページが実はほとんど「広告としての役割を果たさない」と気付いたためであった。 気が付いたのは昨年の夏頃だろうか?遅かったかも知れない。 でも歯科のホームページを広告主体で作って未だにそのスタイルを改めていないサイトも多々あるところを見ると、早めにに気付いた方だとは思うが・・・ もちろん考え方は様々なので、広告目的でサイト作りをしてダメだと言っているのではないが・・・ 実はホームページを公開した後もいろいろな業者から電話がかかってきた。 「先生のところでホームページ出しませんか?」という内容の電話だった。面白いので向こうの言うなりに聞いていると、 「ホームページは広告効果がある」とか「私達が責任を持って月に一度更新します」などとのたまうのである。それで制作費はというと10万円です、とかって平気で言うのである。 きっとインターネットの「イ」の字も知らない先生は話に乗っかってしまうケースもあるんだろうなあ・・・とかって思いつつ、「うちでは自分で毎日更新しています」って向こうを黙らせて電話を切るのである。 ヒドイと思われるかも知れないが、たいていの検索サイトでひっかかるうちのサイトがあるかどうかちゃんと調べた上で営業するのが「スジ」というものであろう・・・ |
2001/03/19 (月) 反対語 |
コドモの頃から不思議に思っていることがあった。 普通、熟語をひっくり返して読んでも意味をなさないが、ごくマレにひっくり返しても「意味が通ずる」熟語がある、ということに興味をもったのは小学校低学年の頃であった。その頃思いついていた熟語は「会社」や「平和」や「花火」といった単純な語句であった。 折に触れてはそのことを思い出していた。年に一度くらいは探せばたくさん見つかるだろうなあ、とは思っていたが、「そんなものを探しても意味はないだろうなあ」と諦めていた。 11月直前になって、これをWEBでやったら面白いだろうなあ、とフト思い出したのである。 その頃にはだいぶネットを通して知り合いになった方々と連絡をとっていたし、呼びかけたら賛同していただいてご参加していただけるだろうなあ、という確信もあった。 こうして始めた新たなコンテンツが「反対語」である。 まあ、歯医者とはあまりにも関係がない。単に僕の幼少時からのフトした疑問がきっかけのこの企画であったが、地味に盛り上がることとなる。 こういったことは「本当に興味をもつ人」はとことん興味を持つし、興味を示さない人は全くと言っていいくらい興味を示さない。 折から掲示板を切り替えて、以前使っていた単発式の掲示板が余ることになったので「反対語BBS」としてお色直しをすることとなった。 最初の一ヶ月はものすごい勢いで投稿があった。記録によると最初の一ヶ月の投稿数は約150ある。もちろん投稿数だけみると勢いよく廻っている掲示板にははるかに及ばないが、「特定の、しかも今までにない内容に関する特殊な掲示板」としては上出来の手応えを感じていた。 |
2001/03/18 (日) 掲示板 |
それでも、10月中旬にカウンタはようやく「2000」を越える程度だった。 でもそれはそれで満足していた。カウンタが全く廻らなかったりすることなく、一日に数人でも確実に閲覧されている、という事実が更新の励みに繋がった。 さて、院長日誌補足の開始とあい前後して「掲示板」も設置した。 最初のころは僕が常連として顔を出していた、いろいろなサイトの管理人さんが駆けつけてくれたが、それも一段落すると結構幾日も掲示板に何も書き込みがなされない、という寂しい日々も続いたりした。 ひとつに掲示板のスタイルが原因ではないかと思った。 僕は今でもパソコンの詳しい仕組みやWEBに関する詳しい知識は持ち合わせていないので、掲示板は「無料レンタル」を使い続けている。 最初に設置した掲示板は、今は「反対語BBS」に使っている「単独レス」型であった。これは親カキコもレスも全て直列に掲示されるもので、どの親掲示に対してレスがつくのか判らないタイプであった。 単発的に意見や質問を書き込まれても「後が続きづらい」形式だと思う。 そこで、今一つ色々な無料掲示板を見てみると、ちょうど適当な掲示板が見つかり、今の形式に至っている。これが今のところここのサイトの規模には適していると思っている。 掲示板は不思議なもので、書き込む人もその掲示板のスタイルに無意識に左右されているのである。 例えば、書き込むテーブルの大きさが2行から4行くらいの小さいスペースだと、少ない語数のカキコになるし、ここが8行とかあると全体を見渡しやすいのか比較的長いカキコになる。 また取り出しツリー式の掲示板はひとつひとつのカキコは一々見るのが大変だが、一つの掲示は多目の文章になる傾向があるのではないかと分析している。 |
2001/03/17 (土) リンク承諾メール |
「院長の独り言」というタイトルで始めた日記は間もなく「院長日誌補足」というタイトルに改称した。 独自性が薄いと考えたためである。 ちなみにGoogleなどの検索サイトで「院長日誌補足」を検索してみると、うちの一件しか表示されないので、独自性を主張できる。 時々、掲示板に日記に関する感想や意見をいただくケースが増えていった。 また、こちらからほうぼうの掲示板にお邪魔する機会も増え、相乗効果でアクセス数は徐々に増していった。 お気づきのことと思うが、この日記はトップページに置いている。ズバリ、アクセスカウンタと連動させるためである。この形式は真似ではなく自分で思いついた形式であるが、実は他にもそういうサイトがあることを後に知ることとなる。 「雑記草」というサイトがある。今は充電中のこの雑記をメインとしたサイトは、出てくる語句にリンクが貼られており、インターネットという環境をフルに活用されている点ですばらしい。 僕も一時的に語句にリンクを貼るスタイルをちょっと真似させてもらったが、意外にこれが大変な作業であった。 また、検索に時間と接続料がかさむ。(実は今でもそうなのだが、接続料は時間課金である) しかし、収穫もあった。原則としてリンクを貼らせていただく際、可能な限りリンク先のサイト管理者に「承諾のメール」を送信したのである。 「貴サイトにリンクを貼らせてもらいました。ご閲覧の上、もし不適当なリンクと判断されればご指摘下さい」という旨のメールである。 今思えば、これで相当色々な方面に自サイトを宣伝したこととなる。昨年10月頃のハナシである・・・ |
2001/03/16 (金) 「補足」 |
「Gabacho-Net」のdeoさんより「Favicon」をプレゼントされました。 これは前々から気になっていたもので、Internet Explorerでお気に入りに追加すると独自のアイコンが付くというものです。 まだお気に入りに登録されていない方は、上の「このページが気に入っていただけたら・・・」をクリックしてみて下さい。また、今までお気に入りにこのページを登録されている方は一度登録を削除してから上の「このページが・・・」をクリックしてみて下さい。 deoさん重ね重ねありがとうございました! |
2001/03/16 (金) 日記 |
と言う訳で、僕もまず日記を書き始めることとした。代わりに「質問メールと回答の公開」と「間違いだらけの歯医者選び」を急遽終了させた。 同時に複数の連載をすることは不可能と考えたからである。 しかし、今までプライベートでも日記をまともに付けたことはなかった。 そういう習慣性のものは概して三日坊主だったし、毎日毎日書くネタが見つかるかどうか不安はあった。 日記を主体としたサイトでも短くて半年、長くても2年くらいで行き詰まったり休止してしまうサイトはたくさんあるようだった。 いやそもそもコンスタントにサイトを日々更新し続けている「サビついていないサイト」の数の方が少ないかも知れない。 歯医者のサイトで「雑記」的な日記を毎日更新している、というところは見たことがない。ほんの数行挨拶程度の文章や、その日一日来た患者さんの治療内容について書いてあるサイトは見たことがあるが・・・ もちろん僕の検索の及ばないところで存在するのかも知れないが。 当初「院長の独り言」というタイトルで始めた日記は、まったくの雑記だった。もしかしたら3ヶ月くらいも継続できればいいかな?その後は別のコンテンツでも考えよう、などと弱気に構えていた。 ひとつ苦労したのは「つまらないギャグ」を盛り込めないことだった。 「歯科医院のサイト」としての品位と体面を保つためである。坂を一度転げ落ちるとなかなか止まらないものである。 |
2001/03/15 (木) よかよか研究所 |
アクセスカウンターの数字がなかなか伸びない原因を模索していたところ、とある掲示板で高校の時の同級生が僕に耳寄りな情報を教えてくれた。 「労せずアクセスカウンターを増やす方法がある」と言うのだ。 その秘訣が記してあるサイトは「秘密結社よかよか研究室」というサイトであった。非常に怪しい名称のこのサイトは、それまでの僕のインターネットに対する概念を根底から覆してくれたのである。 ここで判った非常に大きなことは、余り役に立たないと感じていたインターネットにおいてずばり「役に立たないことをテーマ」にしたサイトが存在しうる、ということであった。 そして、実はそういう系統のサイトが多数存在することも、このよかよか研究所のリンクによって知ることとなるのだが、それ以前に素晴らしいと感じたことは「日記の存在」であった。 日記はサイトの管理人と波長さえ合致すれば、毎日更新されているものであれば毎日でも見に行く。 よかよか研究所の日記は毎日見に行っても飽きさせない内容であった。しかもリンク集から、そういう毎日更新されている日記をコンテンツに持つページが芋づる式に見つけ出すことができた。もちろん面白いと感じるところも、波長の合わないところも色々であった。 もう一つよかよか研究所で教えられたことは「掲示板」の存在と、その中で「見ず知らずの人とコンタクトをとる」手段を啓発されたことであった。 ちなみに冒頭書いた「アクセスカウンターを増やす方法」はよかよか研究所の中のどこかにある。ぜひご閲覧の上、参考にしていただきたい。 もし、僕が「よかよか研究所の存在」を知らなかったら、今ごろここのカウンターの数字は3000にも行っていなかったかも知れない。 |
2001/03/14 (水) 転機 |
当初の3ヶ月、アクセスカウンターは遅々として進まなかった。 当然である。そもそも「ネット接続歴」がそれまでなかったので、WEB上で知り合った友人もいなければ、掲示板というものの存在も知らなかった。 検索サイトのことも良く知らなかったし、相互リンクを貼る相手もいなかった。つまり孤立無援状態であった。 驚くべきことにアクセスカウンターが1000を越えたのは8月初旬のことである。4月12日以来、一日平均にして8あまりというアクセス数である。 自分のアクセス、サクラの友人のアクセスも勘定に入っているので、実アクセスは恐らく「5あるかないか」であろう・・・ それでも不思議と質問のメールがちょこちょこきたりしていた。今思えば、恐らく検索サイトで質問を受け付けるキーワードでも引っかかっていたのであろう。 第一の転機が訪れたのは友人に教わった、とある「崇高なお笑い系」サイトの存在を知ったことだった。 |
2001/03/13 (火) 黎明期 |
月初めにも書いたが、僕がホームページを作ろうと思ったのは「インターネットを始める」前である。 そして、インターネットに繋いで間もなくホームページを作り始めた。 だから、最初の頃のページは実に面白くないものだった。 単なる広告以外の何物でもなかった。 初期のコンテンツは上の「表」の中の「住所」から「相談コーナー」までである。字も大きくたいがい太字にしてある。そして中身がまばらである。 そしてほとんど他の「歯科医院のホームページ」を見たり参考にしたりする、ということをしてこなかった。真似をしたくなかったからである。 見てしまうと無意識にも模倣が入ることを恐れたからである。 もちろん「チラ」っとは見たが、大概は「面白い」と感じられるサイトはなかったように記憶している。 「相談コーナー」はメインに据えようと思っていた。友人にサクラになってもらって何でもいいから疑問なことを質問してくれ、と言ってそれに対して回答を付けたりしたものだった。そのうちに本当の質問も送られるようになってきた。 相談コーナーをやっていたり、他の相談掲示板(バーチャルドクター)などに参加しているうちに、色々な疑問点に系統だった見解を僕なりの言葉で書き綴る必要があるかなと思い始め、通常ならばFAQなどのカタチにするところだろうが、僕は「間違いだらけの歯医者さん選び」というタイトルで書き始めた。 およそここまでが僕のホームページ黎明期といったところだろうか・・・ 順当にページ数を増やしていった・・・ |
2001/03/12 (月) 独自ドメイン |
さて、もちろんこの画面をご覧の方には判っていただけているものと思うが、このホームページのアドレスは独自ドメインとなっている。 これは、いいことなのか悪いことなのか判らないが、シンプルで覚えやすいことは確かなようだ。 電話帳広告、診察券、様々な印刷物に刷られる「独自ドメイン」は見た目はよい。 また口でアドレスを伝えるとき、非常に伝達しやすい。何となくステータスも感じる。 ただ、それだけと言ってしまえばそれだけである。 種々の検索サイトから検索でここにたどり着く分には全く関係ないし、他のサイトにリンクを貼っていただくときもほとんどコピー&ペーストで作業されると思うので、アドレスの長短は関係ない。 要は、レンタルサーバー会社に半分「ハメられた」という実感ではある。 そのくどき文句はこうだった。 「住所と同じで、どこかのプロバイダなどに付属するアドレスは○○ビルに多数入居する住所みたいなものですよ。先生のように独立した建物で事業されている方には独自ドメインの方が絶対に有利です」 判ったような判らないようなハナシであるが、一年前の今ごろは「ドメイン」とか「アドレス」という文言も耳慣れない言葉だったので、鵜呑みにしてしまったのである。 まっ自分では自己満足しているし、電話帳広告に載せたアドレスも長ったらしいアドレスよりもシンプルでカッコいいので、「ハナシに丸め込まれたつもりではない」と自分で自分に言い聞かせてはいる・・・ |
2001/03/11 (日) フォルダの概念 |
まあ、どうにかこうにか辺見歯科医院のトップページをとりあえず作ってみた。作ること自体はさほど難しい作業ではなかった。 そしてタメシにサーバーに送ってみることにした。 振り返ってみると、実はこれが第一の難関であった。 レンタルサーバーの「ご利用マニュアル」を見てもよく判らないのである。「htmlフォルダの中にアップロードしてください」とあっさり書いてある。(そんなこと初心者に判るか!) このフォルダという概念が当時よく判らなかった。というか、そういう表現をするのかどうか判らないが、「階層に分かれている」という概念がよく判っていなかったのであろう。 だから初期に作られたページはすべて同じ階層にファイルが置かれている。全て「htmlフォルダ」の中である。その下の階層を作ってその中にファイルを置くことができる、ということを知ったのは半年もたってからであった。 とにかく数度の試行錯誤の末、トップページをアップロードすることはできた。 わくわくしながらブラウザを起動させて見てみる。貼り付けてあるはずの画像が表示されない。 画像は「画像専用のフォルダ」を作り、そこに収めておく、ということも判っていなかったのである。 |
2001/03/10 (土) ハイパーカード |
僕がいろいろとタカをくくっていた理由のひとつは「ホームページ作成ソフト」というものが「ワープロ」の延長線上にあるものだろうと、勝手に解釈していたことに原因もあると思う。 マックのクラリスワークスは、8年前のソフトとしては先進的な内容であったと思う。ワープロ、表計算、データベース、画像処理がシームレスでできたからである。 当時、ワープロの中に画像を取り込むとか表計算の画面を任意に貼り付けるなどと言った機能は他にあまりなかったのではあるまいか? 僕にとってクラリスワークスは全てのソフトの基本であり、他の大体のソフトもその延長線上で使えるものと思っていたのである。 今思えばHTMLなどといった言葉すら知らない僕は、ホームページ作成ソフトでなぜ字間の調整や行間の調整ができないのだろう?とか、改ページがなぜできないのだろう?といった素朴なハテナマークを頭の中に抱えることしきりだった。 そしてハタと気付いたのが、これは「ワープロ」とは違うということであった。そしてそれはむしろ昔のマックに付属していた「ハイパーカード」に近いものだ、ということに気付くのである。 「ハイパーカード」は非常に面白いツールであった。気合を入れて使えば「ゲームソフトの開発ツール」にも使えるソフトと聞き及んでいた。 僕も初歩的なことは試してみた。文章や画像を入れたり、今のインターネットと同じようにボタンやバナーのようなものを組み込んで、そこをクリックすると他のページに飛ぶ仕組みなどを備えていたし、クリックすると予め入力しておいた音声を出すこともできた。 もしかしたら違うかも知れないが、今のWEBで使われる仕組み-ハイパーテキストがハイパーカードをベースにしている、といったようなことをチラっと聞いたことがあり、妙に納得した記憶がある。 |
2001/03/09 (金) 説明書 |
「ホームページ作成ソフト」は本屋で解説書が一番多かった「ホームページビルダー」を選んだ。市販の解説書は同時には買わなかった。付属の説明書で判るだろうとこれまたタカをくくったからである。 いつも思うのだが、どうして付属の説明書というのは「判るように」書かれていないのだろうか? 僕はインターネットこそ初心者だが、パソコンの原理や基本操作はある程度理解していたつもりだし、常識的なパソコン用語もある程度理解しているつもりだった。 ところが、概してアプリケーションソフトの付属説明書は非常に判りづらいのである。 判るように書こう書こうとしている「跡」はあるし、下手をすると「ウインドウズの基本操作」などと言って、舐めてんのか?と思わせるような記述さえある。 どの説明書にも最初の方はマウスの使い方、とかクリックとは・・・なんてことが書かれてある。 でも数ページ見ていくうちにチンプンカンプンに陥る。 僕は説明書を作る担当の人が「初心者は何が判っていないか」が判っていないのではないかと思う。 もしくはあまたある「パソコン解説本」の出版社と結託して、パソコン解説本を売らんがために、「わざと」判りづらく説明の記述を書いているとしか思えないのである。 また、解説書が多数あると言う事は、そのソフトのシェアが高いことを示しているのだろう、とは思うが数が多すぎて、これまた選ぶのが一苦労である。以前も書いたが「解説書選びの解説書」が必要かもしれない。 でも何でも前向きに考える僕は、「患者さんの説明にも、こちらが判っていても患者さんには理解してもらいづらいことも多々あるのだろう・・・」などと反省したりするのであった。 |
2001/03/08 (木) 空っぽの洞窟 |
さて、昨年3月下旬にはインターネットに接続できる環境が整っていたと思う。 そこでパラパラと眺めたインターネットの世界は「予想していたより」面白い世界ではなかった。 まず、検索の仕方というものもよく判らなかったし、覗いてみるサイトというのは「予めアドレスの判っている」企業などばかりで「面白味」というものがこれっぱっちもなかったからであろう・・・ また、歯科医院の検索サイトのようなものもあったが「見るサイト、見るサイト」面白味というものの片鱗も感じないサイトばかりであった。(もちろん、これは僕の検索の仕方がまずかったためで、後に有益な膨大な情報がある歯科医院サイトも多々あることを知るのだが・・・) 「インターネットは空っぽの洞窟」という本か何かのタイトルが頭をよぎった。 実は僕と同じ思いを経験したネット初心者という方は多いはずだ。 僕の友人に「面白いからインターネット始めろよ。これからはネットの時代だぞ」と勧め、友人はパソコンを買いネットに繋いだが、「ちっとも面白くなく」今ではほこりをかぶって机の片隅の粗大ゴミと化しているらしい。 また今はすっかり検索上手となってP-inの接続料が僕の2倍もかかっているカミさんも、自分専用のノートパソコンを買った当初は「インターネットってどこを見ればいいの?」とノタまう始末だった。 そう、インターネットとは膨大な有象無象の情報やコミュニケーションツールの入口のカギに過ぎなかったのである。 もちろんこれをお読みの方々は「有効な検索手段」を用いてここにたどり着いた方ばかりだと思うが・・・ |
2001/03/07 (水) 医療の広告 |
実は、ちょっとやましい考えではあるのだが、昨年の3月初めてインターネットの画面を見て、これは「広告」になると思った。その考えは後日見事に打ち砕かれるのであるが・・・ 医療の広告には厳しい制限がある。法で定められているのだ。 最近、少し緩和されてきたが、それでも公に広告できる項目は実にこと細かに制限されている。つい最近まで、どこの大学を出たか、などという基本的なことすら広告の文言に載せられなかったのである。 もちろん「どういった治療を得意としているか」とか「当院では消毒や滅菌を徹底しています」なんてことは禁句だった。 友人のノートパソコンの画面でチラホラと散見した「歯科医院のホームページ」には好き勝手なことが書かれていたのだ。つまり、広告の規制がインターネットには介入していなかったのである。 「レーザーを使っています」、「審美歯科やってます」、「こんな歯がこんなに綺麗に治りました」なあんて写真や文言が見受けられた。 「こんなに気合を入れて消毒・滅菌してます」、とか「こんな内装で落ち着いています」などといった内容はザラだった。 僕も平均的な歯科医院よりは「ワンランク上」の歯科医院を目指しているつもりなので、何らかの特色をおおっぴらに広告できるなあ、とワクワクしたのであった。(実際そうかどうかは別として) |
2001/03/06 (火) ブラックボックス |
そもそも歯医者の本来の仕事に「汎用のパソコン」は必要ない。 今でも歯医者で汎用パソコンを所有していない人の方が恐らく多いと思う。 ビデオの接続や録画予約もできないと豪語する歯医者すらいる。 そんなわけで、僕がインターネットに接する機会はずるずると遅くなってしまった。 さて、今月の初日にも書いたが、それまで「インターネットの画面」すら見たことがない者が、いきなり接続してホームページを自前で作る、というのは我ながらいささか無謀だったかも知れないと思う。 とにかく「ワープロ」の知識や「パソコン通信」の知識はおぼろげにあったが、プロバイダの仕組みやレンタルサーバーという概念すら持ち合わせていなかった。 でも、これだけ普及し始めているのだから「できないことはないだろう」とタカをくくっていた。 本には「高価なホームページ作成ソフトを買わなくても、自分でHTMLを記述してホームページを作れる」と書いてはいたが、信じなかった。 今でもそうだが、僕はコンピュータにまつわる「言語」というものに、一切の知識がないのである。どうやって動いているのか、まるで判っていない。 いわばブラックボックスである。 逆にそろそろ、「中身のことを何も判らなくても」そこそこ使えるようになっているだろう、と判断したのであった。 |
2001/03/05 (月) パソコンの進化 |
さて、僕がマックのパフォーマ520を手にして間もなく、パワーPCというCPUが登場する。前後してインテルもペンティアムシリーズを世に送り、両者は切磋琢磨しながら急速にパソコンが進化していった。 そして、あっと言う間もなくマックのソフトの大半は「パワーPC」でなければ使えなくなる時代になってしまった。そもそも520は発売当初から当時の最低のCPUで、クラリスワークスすら随分動作が遅くてかろうじて使える機種だったので、ある種の「はめられた」という思いがあった。 買ったばかりのモデムは9600bpsで、これもたちどころに時代遅れとなった。 詳しい時期といきさつは知らないが、世間は知らず知らずのうちに「インターネットの時代」に着々と進んでいた。 でも「最初のパソコン」で「買う時期」を見誤ったと判断せざるを得なかった僕は、次の機種を真剣に選ぼうとする時期をずらしずらし、昨年に至ってしまったというわけである。 しかも、最低限のことは「ワープロ単体機」でもある程度のことはできる。メールのやりとりも「パソコン通信」でできる。 あとはそこそこの性能のマシンが、手頃な価格で買えるところまで値が下がってくれるのを待つばかりであった。 |
2001/03/04 (日) タイプライター |
キーボードと言えば、ワープロを初めて自分のものにしたはるか以前から、「タイプライター」を所有していた。なぜかは判らないが、興味をもってオモチャにしていた。 もちろん今のパソコンソフトみたいに親切な教則ソフトなぞないので、「教則本」の様なものでひたすら打って配列を覚えた。 お陰で「キーボードアレルギー」はなく、すんなりと電子機器の方に移行できたのだろう、と思っている。 結局パソコンに「とっつく」か「とっつかない」かは、キーボードアレルギーを克服できるか否かにかかっていると思う。 音声認識ソフトや手書きパッドの様なものも開発されているが、やはり一番手っ取り早くて正確なのはキーボードだろう。 ハナシの流れを元に戻す。 実は僕が買い換えてきたワープロはいつも「最低レベルの機種」であった。値段は約5万円から10万円くらいのものだった。それでも時代と共に目覚しく進歩していく。 最終的に使っていたカシオのものは約5万円と格安ながら、「表計算」ソフトや「住所録」ソフト、そしてMS−DOSとの文書コンバートもできた。 ワープロ単体機と言えども、心臓部はパソコンと何ら変わることがないらしい。特別ゲームやカラーにこだわった使い方をしなければ、ある程度のことはだいたいワープロでできたのである。裏技を使うとMS−DOSマシンとして機能したらしい。 何より「立ち上がり」が早かった。 |
2001/03/03 (土) ワープロ |
パソコンを取巻く世の動きは別の機会に書くとして・・・もう少し僕の過去を遡る。 パソコンではないが、僕が初めて「キーボードの付いた電子機器」を購入したのは1984年になる。ワープロだ。 当時、まっとうなワープロ単体機は東芝やキャノンから出ていたトスワードやキャノワードという機種だが、最低でも50万円はした。 しかも、ディスプレーはモノクロ液晶の2・3行しか表示がない。印字は良くても24ドット/インチという、今考えると恐ろしく貧弱なスペックのものが主流だった。 ちゃんとしたディスプレー、記憶装置、プリンターを備えたものは100万円を下らなかったと記憶している。 そんな時、なぜかブラザーというミシンの会社から当時としては格安のワープロが発売された。格安といっても当時16万円ほどした。今ならまともなパソコンにカラープリンタ、スキャナを十分付けることができる価格だ。 これがまた今考えると恐ろしく幼稚なシロモノで、印字は16ドット/インチ、ディスプレーは1行、記憶装置はナシ、という諸元だった。 もちろんこの当時、パソコンにワープロ機能を一式揃えようと思ったらとてもそんな金額では揃わなかっただろうと思う。 それから現在まで、僕はワープロ単体機を数台買い替え、使い続けてきた。 周りにパソコンを所有している人もいることはいたが、当時パソコンはやはり「特殊な器具」であったし、使っている人の大半もゲーム目的であったように感じる。 |
2001/03/02 (金) パフォーマ520 |
さて、もちろん1年前「インターネットには繋いでいなかった」ことは確かだが、一応それまでも机の上に「パソコン」は存在していた。 ただし、7,8年前に買ったマックのパフォーマ520というパソコンだ。当時創刊なった「ぱそ」という初心者向けの雑誌で「初心者が買うならお勧めNO1」と記述されていたパソコンである。確か25万円したと思う。 今のパソコンと比べると滅茶苦茶動作は遅いマシンだが、一応CD−ROMとかはついており、いわゆる「マルチメディアパソコン」の走りだった。ちなみに現在は「マルチメディアパソコン」という表現は死語だと思う。パソコン全てがマルチメディアパソコンと化しているからであろう。 もう一点このパソコンには「クラリスワークス」という統合ソフトがバンドルされており、アプリケーションソフトをバンドルしたパソコンの走りでもあった。 おまけに「コジマ電器」が取り扱う初めてのパソコンだった。 当時はマックOS以外に選択肢はたくさんあった。MS−DOSが花盛りだったし、今もってよく判らないDOS−VとかIBM互換機といった表現が使われるマシンや、NECも独自路線だし、FMタウンとかパナソニックのウッディとかってパソコンもあったように記憶している。ウインドウズの3.1がかろうじてあったかなかったか、の時代である。 ソニーはそれまで出すパソコン出すパソコン失敗し、バイオがこれだけ隆盛を極めるなんて予想だにできなかった。そう言えば、ソニーのMSXパソコンは松田聖子がコマーシャルしていたような気がする・・・ 一応できることは色々してみた。ゲームをやったりMIDI機器一式を揃えて「打ち込み」をしたり、モデムを付けて「パソコン通信」をしたりしていた。 でも買って1年ほどして、世のパソコンを取巻く環境が音を立てて変わり始めたのである。 |
2001/03/01 (木) インターネットとの出会い |
インターネットに繋ぐことができる環境を手に入れてまだ1年経過していない。 それどころか、僕が生まれて初めて「インターネットの画面」を見たのは昨年の3月中旬である。しかも用があって東京にでかけたとき、友人のノートパソコンで見せてもらったのが最初だ。 これは「マズイ」と思った。ここで始めなければ時代に取り残されると感じた。 何より驚いたことは「下線を引いた語句」をクリックすると、リンク先に飛ぶという仕組みだった。 タイミングよく、当時いた当院のスタッフの兄がレンタルサーバー会社の関連会社に勤めていたので、ハナシを聞いた。プロバイダのプの字も、ホームページのホの字も判らない。当然ウインドウズのウの字も判らない。 言われるままに機器を揃え、プロバイダと契約し、レンタルサーバーの契約をした。電話回線はISDNになった。 独自ドメインにこだわらなければ、普通のプロバイダでもホームページを置くサーバースペースを無料で使えるということは後から知った。 多分、歯医者は儲かっていると思われたのであろう。1年前としては「最高に近い」スペックのマシンが院長室のデスクの上に鎮座した。 僕の当初の目標はインターネット未経験者の分際で、「自院のホームページを自力で作る」ことだった。 |
2000年: 7月号 8月号 9月号 10月号 11月号 (以上、雑記)
2000年:12月号 「カレンダーと時間のナゾ」
2001年: 1月号 「バカは風邪ひかない、と進化論」
2001年: 2月号 「歯はなぜしみるのか?」