=院長日誌補足=
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2003年2月号 「クルマの話」

2003/02/04 (火)

序章
 開業のハナシはちょっと一休みし、今月は軽いハナシにさせていただくこととした。開業話の続きはいずれまた書く予定である。

 僕が自動車の免許を取得したのは26歳頃だった。他の人よりもちょっと遅かったかも知れない。

 ペーパードライバーの期間はなかったが、この約15年間、「無事故無違反」である。

 結婚するまでは、夜通しチョロチョロ走り回ったり、開業する前は片道15キロ近い距離を通勤していたにも関わらず無事故無違反は奇跡的かと思われる。
 早池峰神社の御守を持っているからかも知れないが、割と運にも恵まれていたと思う。

 男だったら、かなりの割合でクルマに興味を持つが、僕も多分に漏れない。
 とは言ってもあまりいい車、高級な車を乗り継いできたわけではないのだが、今まで乗ってきたクルマの話、クルマ感などに関して書き綴ろうと思っている。
2003/02/06 (木)

マークII
 僕が最初に購入したクルマはトヨタのマークIIというクルマだった。

 さすが歯医者!初めて買う車がマークIIとは豪勢な!とは思わないで欲しい。

 最初に乗ろうと決めていたクルマは「5ナンバー枠ギリギリ一杯の大きさの2000cc4ドアセダン(もちろん中古で)」。
 万が一ブツかった際、許容されるギリギリの大きさだろう、というイメージだけで考えていた。

 仮免許取得の帰り道、飛び込んだトヨタのディーラーで条件にかなうクルマがマークIIだった。
 しかし登録年数が昭和57年で、展示場に置いてあった時点で間もなく8年目を迎えようとしている車だった。
 (ちなみに昭和57年と言えばまだ国産車の大半が5ナンバーだった。クラウンやセドリックといった高級車でさえ、ほとんどが5ナンバーだった時代である)

 ワンオーナー、目立った改造跡とか事故跡はなかった。
 値段は車検2年付きで50万円。

 中古車相場も全然知らなかった僕は、他のディーラーを見たりすることなく、ほぼ一発でそのクルマに決めてしまった。
 「本免許を取ったら買いに来るので他の客に売らないで下さい」とセールスの人に言って店を出たのである。

 唯一、当時ドアミラーが解禁となり、ドアミラー車が増えている中で「フェンダーミラー」というのがちょっと気にはなった。
2003/02/10 (月)

Cシリーズ
 日本の自動車メーカーのクルマ造りは欧米の様式と多少異なる事情があるらしい。いろいろと・・・

 そのうちの一つにクルマのランクというのがある。
 ○○クラスというヤツだ。

 マークIIというクルマはそのクラスのクルマ、いさゆる「マークIIクラス」と呼ばれる車の代表格である。

 クルマに与えられた格付けは「コロナ以上、クラウン以下」である。

 トヨタという会社は当時、4ドアセダンのエントリーモデルとして「コルサ」、その次に「カローラ」、その上に「コロナ」、そしてコロナの派生車種のマークII、最上級に「クラウン」を揃えていた。後に「セルシオ」というクルマがクラウンの上にラインナップされるが、それはもう少し後のバブル絶頂期だったと思う。

 トヨタの妙なこだわりは車名に現われている。
 マークIIが当初コロナの最上級グレードだったということを念頭に置くと・・・全ての車名は英字表記で「C」始まりなのである。

 CORSA、COLLOLA、CORONA、CORONA MARKII、CROWN、そしてCELSIORってな具合である。

 こうして、トヨタは暗にクルマに「C始まり」シリーズというイメージを与え、購買層に徐々にグレードアップを図らせるのである。
2003/02/12 (水)

後輪駆動車
 さて、中古のマークIIだが、いいのか悪いのか全然判らなかった。
 なにせ、初めて自分で運転するクルマだし、教習所のクルマよりはいいなぁ!と思って乗っていた。

 エンジンは直6の、ターボでもDOHCでもないモデル。
 乗り心地がやたらフカフカだったが、シートがヘタっていたのか、サスがへたっていたのか、それとも元々そういう仕様だったのかは判らない。

 ハンドルは木製だった。
 ミッションは4速AT。免許はマニュアル車で取得したが、クラッチ操作は煩わしいと感じていたためである。

 後輪駆動車であった。
 折からスパイクタイヤが規制され、まだ十分な性能とは言えない出始めたばかりのスタッドレスタイヤは面白いくらいよく滑ってくれた。

 お陰で、その後乗るクルマはどのクルマも「実に雪道に強い」というイメージであった。

 いろいろなシチュエーションで何度も何度も「ヒヤッ!」としたことはあったが、幸い事故には至らなかった。
 あとで思い起こすとよく事故らなかったものだなぁ〜としみじみ思う・・・
2003/02/14 (金)

ヒヤッとしたこと
 まあ、車線変更の時にヒヤッとしたことは何度もあったが、一番ヒヤッとしたのは・・・

 僕は岩手県の中央部にある早池峰山の中腹にある「早池峰神社」という所が好きだった。そこが好きだったのか、それとも途中のワインディングロードが好きだったのか定かではないが、ちょっとしたドライブでよく行ったものだった。

 免許を取って、喜んでクルマを乗り回してほぼ一年目の冬・・・

 岩手県は雪は降るが、北海道ほどたくさんは積もらない。
 早池峰神社はかなり標高の高いところにあったが、それでもそこまでの道は冬季でも確保されていた。

 いつものように神社にお参りしての帰り道・・・
 近道をしようと思った。

 ワキ道なのであるが、その道の方が早く帰れるのである。
 分岐点に来た時、「冬季閉鎖」の立札が・・・道を見ても、それほど積もっている感じではない。後輪駆動車でも下りなら大丈夫だろうとタカをくくって道に入った。

 僕はドリフトを楽しみながら雪道を下っていった。
 まあ、ドリフトと言っても大したモノではない。雪道の下りは時速40キロくらいでも自然とドリフトしてしまうのである。

 対向車が来る心配もないので、1.5車線ほどの道幅いっぱいを使ってツルツル滑りながら下って行き、ふもとまでのちょうど中間くらいに来た頃だろうか・・・

 ちょっと急カーブを曲がったはずみで車はスピンし、そのまんま道路脇の側溝に右前輪を落としてしまったのである・・・
2003/02/17 (月)

命からがら・・・
 乗っていたのは僕一人だった。
 右側の前輪が完全に道路右側の側溝にハマっている。対抗車線側だが、対向車は多分・・・いやまず絶対に来ない。

 トランクを開け、色々な道具を取り出して脱出を試みるも出られない。
 雪を掘り、下からデカイ石を探して車輪の下にあてがうが、ダメ。

 時刻は午後の2時くらいだったろうか・・・
 上空を花巻発札幌行きの飛行機が通過する・・・
 携帯電話?今から10年以上前である。「自動車電話」というモノは当時すでにあったが、契約するだけで10万円以上かかったと記憶する。持っているワケがない。


 ふもとまで歩く?一体どのくらい歩いたら人家のある所までたどり着けるか皆目見当もつかない。冬の山道・・・日暮れも早い。懐中電灯も持ってない。遭難でもしたら大変だ・・・

 色々なことが脳裏をかすめた。

 実は無我夢中でどうやって脱出したかはっきり覚えていないが、車載のジャッキと大きなブロック状の石、そしてなぜかトランクにたまたま入っていた「毛布」と着ていたジャケットを駆使して抜け出すことができたのである。
 もちろん毛布とジャケットはボロボロになってしまったが・・・

 幸いクルマは無事に走らせることができ、生還することができた。

 「通行止めの看板のある道には分け入ってはいけない」という教訓を得た。
 って言うか、普通、通行止めの道には入らんわな〜〜〜!
2003/02/19 (水)

テルスター
 さて・・・中古のマークIIは3年くらい乗っただろうか?・・・
 走行距離は覚えていないが、結構走ったはずである。

 次に乗ったクルマは「フォード テルスター」というクルマだった。
 おお!外車かぁ!さすが歯医者は贅沢な!とは思わないで欲しい。

 親父のお古を譲り受けたモノであり、さらに「フォード」とは名ばかりで、中身は「マツダ社のカペラ」というクルマなのである。

 当時既にマツダとフォードは提携関係にあり、マツダ車の一部をフォードブランドで販売していたのである。

 今度のクルマは4WDだった。しかもエンジンは2000ccのDOHCである。
 乗り換えてみて、中古のマークIIとは全然違った。

 もちろんスポーツカーなどから見ると比べるべくもないのだろうが、マークIIに比べると乗り心地やハンドルが「カチッ」としており、妙なフカフカした感触は皆無だった。
 ガソリンは「ハイオク」を推奨しており、一応それに従ってハイオクをずっと入れ続けていた。

 サイドミラーもドアミラーだった。慣れるまで随分視点移動が気になったが・・・

 唯一ステアリングホイールが2本スポークでいかにもオッサン臭かったので、NARDIの3本スポークのモノ(ここの一番下のみたいなステアリング)に交換した。
2003/02/21 (金)

愛着
 実はこのテルスターは今はもう乗っていないのだが、一番愛着のあるクルマだったし、今後もそのクルマを上回る愛着を覚えるクルマはないのではないかと思っている。

 とにかくたくさん乗った。
 札幌医大に勤務していた頃は道内各地の出張先を走り回った。最も遠い出張先は利尻島だ。

 札幌から稚内まで全くノンストップで走りぬいたこともあるし、道南の熊石町から戻ってきて、次の日に道東の津別町まで走ったこともあった。

 北広島市の歯医者に通勤していた頃は毎日往復30キロ近く走っていた。

 恐らく、今後もそういうペースでクルマを運転することはないだろうと思う。



 写真は利尻島に一ヶ月出張に出かけた時のもの。
 晩秋、水なしの川底をできる限り登り撮影。大きな石がゴロゴロしており、アルミホイールに傷が付いてしまった・・・

 バックは利尻山。
2003/02/24 (月)

新たな教訓
 そうそう・・・書き漏らしてしまった。
 テルスターでもちょっと危ない思いをしたことがあった。

 そのクルマでの初めての雪道・・・初めての4WDで、ちょっと試したくなった。
 クリスマスイヴの日の深夜だった。

 とある山の中の温泉街。やはりやや曲がりくねった道だった。

 「おお!さすが4WD、FRとは挙動が違う!」などと喜んでカーブを曲がっていたのだが・・・あるカーブで曲がりきらず、またも対向車線にはみ出し・・・今度は橋の欄干に激突してしまった。

 もうちょっと早く対向車線にはみ出していたら川に転落するところだった。

 右前部を大破してしまった。
 ところが、不思議なことにカスリ傷ひとつ負わなかった。

 エンジンはかかる。ところがクルマは動かない。降りて見てみると、完全に前部のバンパーからタイヤのところまでへこみ、バンパーがタイヤに食い込んでいる。

 バンパーを思いっきりガンガン蹴飛ばすとタイヤからは離れた。
 ギ〜ギ〜嫌な音を出しながら帰宅した。

 翌朝・・・クルマの前部は見る影もなかった。しかし、走る分には走ったので、重大な損傷はないものと思われた。

 ディーラーに修理に出したら30万かかったが、幸い車両保険で直すことができた。

 通行止めの道じゃなくても安全運転に徹した方が良さそうである、という教訓を得、それ以来今日まで無事故無違反が続いている。
2003/02/28 (金)

HR−V
 どうも昔のハナシを思い出しながら書いていると、いらぬことまで思い出したり、当時の状況や環境まで思い出して、思い出に耽ってしまったりもする。

 テルスターはほぼ10年、10万キロを乗り、副院長のクルマとの兼ねあいもあって、新車を買うことにしたのが、今から3年半前。

 自分で新車を買うのは初めてだった。

 ホンダの「HR-V」というクルマが出ているのだが、当時はまだ3ドアしかなかった。
 新しいクルマが欲しいな、と思った矢先に5ドア車が出た。純粋なオフロード車でもなくステーションワゴンでもない。いわゆる一応「RV車」というジャンルに相当するのだろうか?

 試乗しに行ったその日の晩に契約してしまった。

 1600ccという決して大きなクルマではないのだが、タイヤが大きく、腰高なデザインだがそれでいて直線的な全体のまとまりが気に入ったのである。
 また、地上最低高が185mmというのが雪道にはかなりイイ。歩道の段差もなんなく乗り越える。

 多分しばらくHR−Vに乗り続けることになるだろうと思う。