=院長日誌補足=
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2002年8月号

「映画のハナシ」

2002/08/02 (金)

エピソード4
 とりたてて、他の人より多くの映画を観て来たつもりはない。
 また観る映画も偏っていると思う。

 今月は僕の好きな映画のタイトル、そして思い入れなどを書き連ねてみようと思う・・・

 今まで観た映画の中で、ナニが一番好きか?と訊ねられたら迷わず「スターウォーズ」と答えるだろう。
 日本で1978年に公開されたこの映画は、それまで観たどの映画よりも衝撃的であった。

 あくまで「好き」の範囲であり、強烈なスターウォーズファンとかマニア、グッズを集めるとかそこまでのレベルには達していない。

 今観るとテンポも遅く、決して特撮のレベルも鮮やかではない。

 ハナシのスケールも「砂の惑星」なんかに比べると見劣りする。

 でも、僕の知る限りスターウォーズは明らかにそれまでの映画と異なる設定があり、それが面白いと感じるのである。

 それは、設定として「地球人が出てこない」ということである。
2002/08/05 (月)

スカイネット
 SF映画で、たいてい未来は暗く描かれることが多い。
 記憶にある範囲では、なんとなくおめでたいのほほんとした未来が描かれているのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズくらいだろうか?

 コンピュータもしくは機械が人間を支配するという設定もありがちである。
 「ターミネーター」しかり、「マトリックス」しかり・・・遡れば「2001年宇宙の旅」でもコンピュータが氾濫を起こし、人間を殺している。

 ターミネーターで人間に挑戦状を突きつけたコンピューターのネットは「スカイネット」と呼ばれていた。
 
 この映画の公開は1984年である。インターネットの「イ」の字もない時代である。(原型になるような軍事用・大学間の何らかのネットはあったかも知れないが・・・)

 その時期にコンピュータネットワークが将来発展するという構想を描いた発想には敬服する。
 そして、そのネットワークが人間に反旗を翻すという設定も現実とならないことを祈りたい。

 本日から稼動の住基ネット・・・まあ、そのネットそのものは暴走したり氾濫したりすることはないだろうが、まかり間違えばプライバシーの垂れ流しになりかねない。
 慎重な運用を期待したいものであるが・・・
2002/08/07 (水)

時代考証
 SF映画というか、SFには二種類あると思っている。

 科学が今まで進歩してきた背景を考証し、今後ありえるだろう科学技術の発展をちゃんと考察した設定と、何も考えずにただ荒唐無稽とも思える設定とである。

 またそれらがごっちゃになっているモノもある。
 基本的に今後技術的に可能なんだか不可能なんだか判らないけど、とりあえず設定として外せないというメカニズムなんかもある。
 ワープドライブとかタイムマシンといった設定である。

 時代劇なんかもそうであるのだが、役者の歩く道がアスファルトで固められていたり、背景に電柱なんか写った日には興醒めもはなはだしいはずである。
 役者のセリフのイントネーションも平板で「ら抜き」なんかであったら滅茶苦茶である。

 初めて逢う異星人といきなり英語でコンタクトなんか取っちゃうところが実に荒唐無稽の極みだったりするのだが、そこがスタートレックの弱点なのではないかとも思える。

 1984年のスターファイターという映画がある。
 あまり有名ではない。っていうかかなりマイナーかな?
 実は好きな映画である。初めて特撮に大規模にCGを使ったと聞き及ぶのは別として、ちゃんと異星人と最初会話ができない。

 服の襟の裏にホッチキスみたいな機械でカチっと翻訳機を装着すると会話できるようになる。
 そういう細かい配慮がされた映画が好きである。
2002/08/09 (金)

ハロー!コンピュータ!
 SF映画の中では様々なカタチのコンピュータが登場する。

 だいたいが人工知能を持ち、人間と対等に会話する高度なタイプのコンピュータが描かれている。

 時々チグハグで笑ってしまう場合もある。
 一番違和感を覚えるのが、「エイリアン」(1979年)である。

 宇宙船ノストロモ号のコンピュータに対して、確かキーボードで入力しているのである。(違っていたらごめんなさい)
 だいたい、その船にはほとんど人間と区別が付かないアンドロイドすら搭乗しているのに!である。
 時代錯誤がはなはだしいというか、時代考証がしっかりしていない証拠である。

 「スタートレック4故郷への長い道」(1986年)はスタートレックの映画の中でも僕は一番とっつきやすい中身だと思う。
 舞台が現代だからである。

 その中で、未来から現代にタイムトラベルした登場人物が現代のマックに向かって「ハロー!コンピューター!」と呼びかけるシーンはなかなか微笑ましい。

 しまいにはマウスをマイクと勘違いして、マウスを手に取って呼びかける・・・

 そこで出てくるマックは恐らく「初代マッキントッシュあたり」だと思う・・・
2002/08/12 (月)

黒幕
 ダイ・ハードシリーズも好きだ。
 特に2が面白い。

 リーサル・ウェポンシリーズなどでもありがちなのだが、アメリカ映画では警察とか軍隊とか、味方と思っていた人達の中に黒幕がいることがしばしばである。

 これは実態を反映しているのだろうか?
 アメリカばかりがそうかと思っていたら、最近の日本の警察でも、そういった類の不祥事を耳にするようになった。

 ダイ・ハード2では、味方と思っていた軍隊の中に反乱分子がいた。
 そういう設定はドンデン返しを演出するのであるが、あまり頻繁過ぎても、「あっこの映画でも味方の中に敵がいるのではないだろうか?」と穿った味方をするようになってしまう。

 映画ではないが、少し前のドラマで「空から降る一億の星」という番組があったが、僕はかなり最後の方まで「これは警察内部に黒幕がいるだろうな!」と信じて疑っていなかった・・・

 昨日、エピソード2を観た。
 これもきっと味方と思っている登場人物の中に黒幕がいる。
2002/08/14 (水)

CG
 ごく一部を除いて、アニメ映画は好きにはなれない。まあ、これは好みの問題だからしょうがないことではあろうが・・・
 ところが、最近CGが実に実写に迫る勢いで画質を向上させており、実写とCGとアニメの境が判らなくなりつつある。

 アニメと言うと手作業で描かれたセル画をコマ落としで映像化するわけだが、その手作業をコンピュータにやらせるとCGになる。

 CGも以前は一部特撮の代わりに用いられていたに過ぎなかったが、最近ではトイストーリーやダイナソーのように全編CGの映画も次々登場している。しかも、画面は至極綺麗である。

 ところが、である。やはりCGはリアリティに欠ける。どんなに質感が向上していても、どんなに動きが滑らかであっても、実写のヨーダの方がCGのヨーダに勝る。

 宇宙船もそうだ。
 CGの宇宙船は綺麗だ。でも、実寸大モデルも作られたというミレニアムファルコンにはかなわない。

 特撮は、それがミニチュアで作られたモノであっても、現実にあるモノを写している。しかし、CGには現実味がない。僕の目にはあくまでアニメの延長にしか写らないのである。

 恐らく今後、予算と手間隙かけた「特撮」というのはどんどん衰退していくことだろうが、残念なことである。
2002/08/16 (金)

スーパーマリオネット
 サンダーバードが好きだった。
 純粋には映画とは言えないが、パイロット版は映画館で放映されていた。
 トッポジージョとの二本立てを観に行った記憶がある。

 サンダーバードは人形劇である。スーパーマリオネットというらしい。
 しかし、妙なリアリティがある。頭デッカチだし、動きも当然人間には及ばないのであるが、それでもアニメよりは現実味があった。

 そこにはワケがあるらしい。
 つまり、一般の特撮映画では、演じるのは人間、そして特撮の場面はミニチュアを使って撮影・・・ここにギャップが生じるらしい。観る方は、「あのミニチュアに人間が乗っているわけがない」と潜在意識下で思って観てしまうらしいのだ。

 ところが、サンダーバードは違う。
 演じるのもミニチュアの人形、そして特撮もミニチュアの模型。
 つまり整合性が取れているためかえって違和感がない、というのだ。

 それはトイストーリーと同じことだろう。CGの背景でCGの役者が演じる方が、CGの背景で人間が演じるよりも違和感が少ないという・・・
2002/08/19 (月)  サイコロの目が悪くて一回休み!(ごめんなさい)
2002/08/21 (水)

スーパーマン
 スーパーマンも好きだ。
 スーパーマンの従姉妹のスーパーガールも好きである。
 いずれも荒唐無稽のヒーローモノではあるが・・・

 アメリカのヒーローモノは全て「等身大」である。バットマンしかり、ロボコップしかり、マスクしかり。(マスクはヒーローと言えるかどうかは判らないが・・・)
 最近ではスパイダーマンも等身大である。

 対して日本のヒーローは、もちろん仮面ライダーやキカイダー、戦隊モノ(ゴレンジャーの類)のような等身大もあるが、大きなヒーローも数多く登場する。
 ウルトラマンのシリーズ、スペクトルマン、マグマ大使、鉄人28号、そして戦隊モノも必ず合体した巨大ロボットが登場する。

 いずれにせよ、等身大ヒーローには我々が持つ変身願望の具現化という点で日米とも共通点があるのだろうが、「巨大な敵」に対して「巨大なヒーロー」が戦ってくれるということは日本人特有の概念があるに違いない。

 そうそう、アメリカの等身大ヒーローは概して変身前は一般市民であるが、日本の等身大ヒーローは普段から一般市民ではないようである。
 これも意識や文化の違いからくることなのだろう・・・

 そうそう、抗いがたい外敵に対して、神風が吹いて成敗してくれるというところに「巨大ヒーロー」の原点があるような気がしてならない。
2002/08/23 (金)

アニメ
 14日にアニメ映画は好きではないと書いたが、ひとつだけお気に入りがある。
 「ファンタジア」である。

 一昨年、リメークした「ファンタジア2000」を劇場で観た。
 これはセリフは一切なく、音楽それもクラシックとジャズしか音として入っていない映画である。

 オムニバスで色々なハナシが盛り込まれているのだが、奇想天外な展開で楽しませてくれる。

 実はカッコ悪い話なのであるが、この映画を観て、感動してとめどなく涙が溢れてきたものだった・・・
2002/08/26 (月)

プレデター
 B級と言い切ってしまっていいものかどうか判らないが、B級映画でも面白いと感じる映画がある。
 アーノルド・シュワルツェネッガー主演のプレデターは、何度もテレビで放映され、ストーリーも把握しているのに、観てしまう。

 何が面白いと言って、異星人のキャラクターである。
 はっきり言って「天狗」と「河童」を足して2で割ったようなキャラクターなのである。多分意識して設定したと思われる。

 異星人(プレデター)は木々の間を身軽に飛び回り、神隠しのようなことを行い(人間を狩っているのだが)、隠れ蓑のごとく姿をくらます。
 外観はそれこそ天狗と河童を足して2で割った姿をしている。

 劇中ではインディアンの伝説と絡めて語られているが、絶対に天狗と河童をモチーフにしたと信じて疑わない。

 プレデターに関して検索していたら、面白い記事を見つけた。
 実は「プレデター2」ではプレデターがエイリアンも狩っていたと思わせるような、エイリアン風の頭蓋骨が登場するのである。
 その時点から意識していたのかも知れない。

 モンスター対モンスター、今までないハリウッド映画が観られるかも知れない・・・
2002/08/28 (水)

特別編
 よく映画で「特別編」というのがある。一度上映したものに、後からカットした場面を付け加えたり、古い映画にデジタル処理を施したりして再度上映したり、ビデオにするモノのようである。

 僕の好きなスターウォーズにも特別編がある。

 観たけど、ガッカリである。

 特にガッカリは「ジェダイの復讐」のラストの場面である。ガラッと雰囲気が違い、音楽まで入れ替えている。
 これにはワケがあるらしい。

 ジョージ・ルーカスは最初それぞれ3話からなる3部作で合計9つのエピソードを予定していたらしいのであるが、どうもエピソード6にあたるジェダイの復讐を作製した後、そのあとの作品を作る気が失せたらしい。

 そこでジェダイの復讐はまだ全体の中で途中段階だったにも関わらず、それを最終話とすべくラストシーンを入れ替えてしまったというのである。

 他にも不完全で随分と目のかわいらしいジャバ・ザ・ハットがエピソード4に登場したり、デススターの爆発シーンにも手が加えられたり、不自然な感が否めない。

 やはり映画は作製当時のままがいい。
2002/08/30 (金)

千と千尋
 昨年、子供と「千と千尋の神隠し」を観にいったのであるが、途中で子供が「気持ち悪い」と言い出し、最後まで観終る前に映画館を出た。

 映画館を出るなり、子供は嘔吐した。
 実は、僕も途中で「どうしてこんなにグロテスクな場面が多いのだろう?」といぶかって観ていた。

 あの映画はナニを言わんとしているのかさっぱり判らなかった。ただただ内蔵感覚のグロテスクさだけ強調されて頭に残っている。

 まあ、最後まで観ないうちに論評はできないと思ってはいたが、過日AVルームを完備した友人宅で続きを観る機会があった。
 が、やはりナニを言わんとしているのか判らなかった。

 つまり、面白いとか面白くないとか、そういうことも言えないのである。

 興行的には大成功だったらしい。
 それもまた摩訶不思議である。
 それとも、僕の理解できない部分にナニか面白味があるのかなぁ?・・・